日本酒のスペシャリスト山内先生と作曲家の馬場さんによる、領域を跨いた対談の3曲目。
今回はフランス近代音楽を代表する作曲家であり、音楽史上における印象派の祖といわれるドビュッシーに合わせていきます。ぜひお愉しみ下さい。
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煌びやかな月のニュアンスをペアリング
山内:
3曲目に合わせるのは、大納川 純米大吟醸 生酒です。
大納川は酵母由来ということもあるんですけど、いわゆるフルーティーで華やか。そこがこの蔵の良さです。しかも磨き込まれているので、雑な印象がなく整えられているんですけど、どちらかというと全部の重心が高いところに置かれている。
スワリングすると、花が開く前の青々しいちょっとベジタルな香りから、花が開いてフェロモンが漂い出すようなニュアンスがあるかなと。苺キャンディーのような香りが出てくると思います。
馬場:
やっぱり重心が高いから、セクシーというよりは可憐なイメージですね。
昔食べた、三角形の苺の中にミルクが入っているキャンディーです。笑
山内:
このお酒にはクラシックの曲になるんですけど、やっぱりピアノでキラキラしたニュアンス、ドビュッシーの曲かなと。正直ドビュッシーならどれでもというところではあるんですけど、あて込むのであればこの曲でしょうか。
馬場:
月の光。うん、西洋の月見酒ですね。笑
山内:
煌びやかさというか、キラキラした感じってどうなんでしょうね。
ちょっと伺ってみたいんですけど、ショパンもどちらかというと、キラキラというか、細かい音をたくさん使うイメージがありますが、それよりもドビュッシーの方が情景を感じやすい気がしていて。
馬場:
どういうインスピレーションが元になっているかというところに尽きると思うんですけれど、実はドビュッシーが好きだったのがショパンとバッハだったりするんです。
ショパンはロマンチストで。ひと夏、従姉妹のお姉さんに恋してお姉さんが結婚して去っていく時に、送る曲とか書くくらいロマンチズムを持っている。
ドビュッシー本人は印象派って言われたくなかったようなんですが、記憶の中の映像に合わせるように曲を書きますね。
山内:
物語性がありながらもあまりストーリーが進んでいる感じじゃなくて、ちょっと心象風景的なもの。
すごく詩的ですよね。
馬場:
月の光も単に月光の美しさを描いた音楽ではなく、ポール・ヴェルレーヌというフランスの詩人による同名の詩にインスパイアされた音楽だそうです。
この詩の内容自体が、男女の享楽的な恋。月が見守る中2人で抜け出して、 本人たちもこれに意味あるとは思っていない。そんな中で月が悲しく見てる。荒城の月みたいなものですね。
大納川の、ぱっとした可憐さとか、煌びやかな月のニュアンスというのは、実はこれを書いた時のモチーフに近い。それを直感的に、ペアリングされているんですね。
※ ポール・ヴェルレーヌ:フランスの詩人で象徴派といわれる。多彩な韻を踏んだ約540篇の詩を残す一方で、破滅的な人生を送った。
山内:
これはもう、すごく感覚的なものではあったんです。
構成要素的にもですし、細かい話をすると、このピアノがサンソン・フランソワという、僕の中ではドビュッシーの中で1番好きなピアニストなんですよ。
音の置き方とかも非常に詩的で。同じ曲なんですけど、その音の響かせ方で、全然心に刺さり方って違うんだなと。
※ サンソン・フランソワ:第二次世界大戦後のフランスにおける代表的なピアニストの一人。主にショパンやドビュッシー、ラヴェルの演奏を得意とした。
馬場:
演奏家の違いって、落語家くらい違いますよね。
山内:
とてもいい例えですね。全然関係ない話になってしまうんですけど、サンソン・フランソワって飲兵衛なんですよ。笑
昔の落語家みたいな、お酒をガンガン飲んで身を持ち崩すんだけど、芸はあまり荒れないっていう。落語の世界でフラって言われている雰囲気ですね。
存在に愛嬌がある感じもピアニストの詩的さみたいなものを感じていて、サンソン・フランソワの弾くドビュッシーが結構好きです。
※ フラ:落語業界でいわれる、生まれ持ってるおかしさや愛嬌のこと。
馬場:
彼の月の光、結構早い弾き方ですね。
先ほど月の光の詩の内容を簡単にお伝えしましたが、翻訳としては
お前の心は けざやかな景色のようだ そこに
見なれぬ仮面して仮装舞踏(ベルガマスク)のかえるさを
歌いさざめいて人ら行くが
彼の心とてさして陽気ではないらしい
誇らしい恋の歌 思いのままの世のなかを
鼻歌にうたってはいるが
どうやら彼らとて自分たちを幸福と思ってはいないらしい
おりしも彼らの歌声は月の光に溶け 消える
枝の小鳥を夢へといざない
大理石の水盤に姿よく立ちあがる
噴水の滴の露を歓びの極みに悶え泣きさせる
かなしくも身にしみる月の光に溶け 消えるポール・ヴェルレーヌ『月の光』堀口大學訳
となっていて。儚いんだけれども、悲しみのカウンターパートにあるくらいの、華やかさ煌びやかさがありますね。
音の流れ的にはすごく低く支えてくれる音が男性で、会話がどんどん盛り上がって最後にカメラをパーンアップして、月が見ている。ということらしいです。
山内:
確かに見えてくる視点や情景ってありますね。
会話で突き詰めて、見えてくる本質
馬場:
今視点のお話が出ましたが、ペアリングの概念的なところで、悲しい物語に対して、華やかなものをあてる。その対比構造で湧き立つものもあるなと。
曲の中に入ってる悲しさと、大納川のこの美しさや華やかさが、いい対比を生んでいる。
山内:
すごく派手な音ではなく、持っているものの情感っていうものが、お花とか、儚いものが距離感として近かったりして。そこがまさにこう、太陽じゃなく月の光。そしてこれから沈む月ではなくて、昇り始めの月のイメージはありますね。
馬場:
太陽って、これからどんどん命を育てて元気になっていくイメージがありますしね。
美しい、悲しみに変わっていくような。そんな可憐さがお酒からも組み取れる気がします。
山内:
このお酒から儚さっていう表情を出すのは、こうして話していかないと見えてこない部分だったりするんですよね。
最初ちょっと派手に感じやすいんですよ。ただその1点装ってはいるけど、脆さがあったりとかいう部分まで追求していくと、このお酒の本質みたいなものは見えてくる。
馬場:
このお酒はスワリングして香りを飛ばしたり、味が繊細なところもあるようですしね。開ききった瞬間に、それは同時に終わりにも向かってるような。
山内:
そうですね。それも全部引っくるめてというところですね。赤みがかかった百合なんかと一緒で、開くとバチっと香りが立つんですが。
テクニカル的なこと言うと、このお酒の持っている香りは、温度にも左右されるし、紫外線にも左右される。ちょっと移ろいやすい部分っていうのあるんですよ。そこがやっぱり儚さにも繋がっている。
だからこそ、今ちょうど咲いている部分を愛でるっていうところは大事だと思えるお酒になりますかね。
馬場:
きょうの日本酒の一合瓶サイズが1番詩的に切り取ることができるっていうところがありますね。
山内:
そうですね。見えてくる心象風景って、そのお酒ごとに、 シーンなのか音なのか、物語性なのかっていうところはあると思うので、こういったものをまた突き詰めていくと、見えてくる部分は大いにあると思います。
馬場:
日本酒とワイン、両方に精通している山内さんだからこそお伺いしたいんですけど、日本酒はこういう文脈的なペアリングには秀でてるお酒だと思いますか?
山内:
僕は結構いけると思います。
両面あって。心象風景を抱きやすいっていう点では、 日本人である僕らが日本酒に対する距離感が近いっていうところがまずある。そこに対する解像度の高さっていうものがありながら、逆にそこがまた引っ張られるところでもあるんですよね。
要は、日本酒っていうその言葉尻の時点でも、例えば田んぼが浮かんだり、里山が浮かんだりする。やっぱりそこに陥ってしまう部分っていうものはあると思うので、そこからもう1つ抜け出た景色なのか音なのか、みたいな部分の中に見出せる何かがあるかなと思うんですけどね。
馬場:
日本的な記号って良くも悪くもあまりにも強いので、いったん離れてみて、西洋の楽曲とペアリングしてみるのがいいですね。
山内:
一旦お酒の説明を忘れていただいたり、もしくは何県で造ってるとかテクニカルな部分は忘れていただいてペアリングしていくのはいいことかもしれないですね。
とても面白い試みだと思います。