旨い酒ってなんだろう?
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神様にお返しをする、それが日本酒を造る理由:板倉酒造 小島杜氏インタビュー
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神様にお返しをする、それが日本酒を造る理由:板倉酒造 小島杜氏インタビュー

旨い酒ってなんだろう?

きょうを潤してくれる、旨い酒。では旨い酒ってなんでしょう?そんな探究心から、日本酒の旨さをつくる様々な方にお話を伺い発信していくジャーナル「旨い酒ってなんだろう?」。

第四弾は、板倉酒造 小島杜氏へのインタビュー記事です。

日本酒発祥の地ともいわれる出雲で酒を造っている小島さんに、酒造りへの想いを語っていただきました。

読むと日本酒がちょっと面白く、そして旨くなる。ぜひ、お愉しみください。

この記事のハイライト

🍶 「時間と手間暇をかけた、御神酒の酒造り」

🍶 「飲んだ時に、情景が浮かぶのが旨い酒」

🍶 「米を酒に変えて神様に返す。これが、日本酒を造る理由」

御神酒のようなお酒を目指す

濱道(きょうの日本酒):
今日はよろしくお願いします。
早速ですが、小島さんはどのような経緯で、板倉酒造に参画したのですか?

 

小島(板倉酒造 杜氏):
最初は板倉酒造を知らず、竹鶴酒造さんに行きたかったんです。
石川達也杜氏(現:月の井酒造店)に相談したのですが、その時竹鶴酒造さんは人を募集しておらず、板倉酒造では人を募集していて、先代の杜氏さんに会いました。

当時、板倉酒造では生酛造りをしていて、住み込みで酒造りをするような感じで、そこでなら技術習得ができそうと考えました。当時25歳でした。

※生酛造り:自然の力を活用した、昔ながらの日本酒の造り方。お酒造りに必要な乳酸菌を添加せず、自然の中の乳酸菌を取り込むことで酒母を造る。 

 

濱道:
板倉酒造さんは普段どういったお酒造りをしているのでしょうか。

 

小島:
皆さんが知っている言葉で説明すると、御神酒のような酒を造っています。 これが、すべてに共通する良いお酒の姿だと考えています。

御神酒とはどういったお酒かというと、手間暇をかける、大変でも遠回りをしながら造る、物質とかそういうことではなく、かける時間に重きをおいて造る。その積み重ねのイメージで造っています。

※御神酒:神様にお供えして神様の霊力が宿った酒のこと。伊勢神宮や出雲大社などは清酒免許も取得しており、各神社で御神酒を製造しているところもある。

濱道:
そういった考え方に至るまでにどういう経緯があったのですか?

 

小島:
自分の世代では、普通に働いて、お給料をもらって、という生き方が一般的ですが、僕は自分で酒造りを選びました。
若いころは特別なことをしたいという憧れもあり、無難なものを作るのでは、あえて酒造りを選んだ意味がないなと。

美味しい酒や売れる酒となると人や環境によって変わってきてしまうので、あえて御神酒という難しいテーマを選んで始めようと思いました。御神酒という言葉を使っているのは、すべての人に共通するからです。

 

濱道:
小島さんの考える酒造りのテーマとは?

 

小島:
吟醸造りが肝です。
40年前くらいの酒造りでは、アル添して、酸味料を入れて、糖分を入れていました。経済的なお酒をたくさん造るのが主流だった中、昔の職人がもっとうまく造りたいと想いを込めて、手をかけて造られたのが吟醸造り。

自分はその精神性が御神酒に繋がると思いました。
出雲は神が酒を造る場所です。御神酒と山陰吟醸造り。さらに出雲杜氏の背景があって、それらをすべて結んで造ることを目指し始めました。

※アル添:醸造アルコールを添加した日本酒の略称。

※出雲:古来より出雲の地と日本酒は強い結びつきがあり、出雲神話や出雲国風土記にも記述がある。

※山陰吟醸造り:精米した酒米の外側を酒粕に、米の内側の心白を酒にする本来の吟醸酒の製法で、精米歩合の数字以上の清らかな酒質を生み出す手法のこと。

情景が浮かんでくる味

濱道:
小島さんにとって旨い酒とは?

 

小島:
情景が見えるお酒であることです。

僕らは五感で情報を接種しますが、味覚だけのインプットは人によって美味しいとか香りがいいとか全く違う感想で、共通ではない。

味覚として美味しいと感じるのもそうだけど、飲んでどういう情景が見えるか。お米の味、水の味、日本ぽい味がする。など、味覚を感知した時に記憶が刺激されて情景が強く浮かぶもの。味の好みの問題よりもそういった情景が類推されるのがいい酒だと思っています。

たとえば、お酒のアルコール感から強さだったり神々しさを感じたり、力が湧いてくるようなことを感じたりしますね。海外では、スピリッツ(=精神)、アクアヴィテ(=生命の酒)というような言葉もあります。

重視しているのはアミノ酸です。甘くないのに甘さを感じさせる。
アミノ酸はタンパク質が分解されたもので、タンパク質は生命に含まれている。アミノ酸を摂取するのは地球上の生命体の輪の中に入っていき、生命を感じていることだと考えています。

濱道:
天穏さんはすごくバランスがいいお酒だと思いながらいつも飲んでいます。

 

小島:
色んな情景を重ねています。レイヤーのような感じで。 水、米、アミノ酸、微生物、出雲の気候風土。様々なレイヤーを薄く重ねて類推させる。

どれかが強くなるのではなく、薄く重ねていくことで、バランスがとれているかなと。 飲んでいくとそのレイヤーが分離して情景が浮かんだりして、飲み重ねていくと時間的な幸福に繋がります。

神様に返す、これが日本酒を造る理由

濱道:
民族学的なところで、古来から日本人がなぜ日本酒を飲むのか教えていただけますか。

 

小島:
僕らは生活する中で、水と食べ物は自然から貰わなくてはいけない。自然からただ享受しているだけでは関係性ができないので、昔の人は神と自然との対話を試みました。

関係性を持たせるとなると、まずは贈り物をすることから始めます。しかし人間はすでに自然から贈り物を貰っているから、お返しをしなければいけない。日本では縁という言葉がありますが、贈り物をあげると縁(関係性)が生まれます。

僕らは祖先から命を貰い、自然から食べ物を貰います。
関係性が途絶えないよう、貰ったものを返す。でも貰ったものには何かをプラスして返さなくてはいけないので、そこに自分の時間を加えます。日本語的に言えば「祈り」です。
贈与されたものに自分の祈りを加えれば、自分にとって最高のお返しができると考えました。

小島:
日本はお米など穀物から始まります。
自然と祖先から貰ったお米に対して、僕らは最良のものを付け加えて神に返さなくてはいけない。

今の時代にはそぐわないですが、昔は人間界で一番大切なのは女性でした。
女性に米を噛んでいただき、命を与える。これが発酵して口噛み酒になりました。
「噛む」は「醸す」という意で、神と女性がまぐわって醸されて酒に代わる。それを自然と祖先にお返しします。

今の時代は神社で行っていますが、当時、自然の神様は山の中にいると考えられていて、ご先祖様は村や集落の代表的な長の骨を、山の中に埋めていました。
女性がお酒を山の神様のところに持って行き、お供えをする。お返しにお米と子孫をくださいとお願いする。予めお供えをして祝っていれば、それが現実になるだろうという予祝儀礼です。

贈与したお酒は神様に所有権が移り、御神酒というものに変化して、お酒と神様が同じものになります。
神様という概念的なものがお酒に宿り、それを飲むことで神様と繋がれる。神様とは祖霊も指すので、祖先とも一体になります。

米を酒に変えて神様に返す。田植えの前、米が実る時、収穫の時、年3回繰り返すことで発展していく。これが日本酒を造る理由だと思っています。

※口噛み酒:米を口のなかで噛み、それを吐き出して容器に溜めて放置しておくとできるお酒。自然界に存在する酵母(野生酵母)が糖をアルコール発酵させ、お酒ができるという仕組み。

※予祝儀礼:農耕儀礼の一つ。新春の耕作開始に先立ち、主に小正月にその年の豊作を祈って行う前祝いの行事。田打ち正月・田遊びなどの類。予祝行事。 

濱道:
神様や祖先と繋がるためにその土地で日本酒を造り、祈り続けてきたんですね。

 

小島:
お酒というものはその土地の土から生まれています。神がいて祖先がいて、死んだら土に還っていく。

土の一片にも神がいるし、自分も土になって米になって酒になって神に返す。概念上でも現実的にも一体になっています。

象徴的な場所でお酒を飲むと共通する環境を思い出すことになり、お酒を飲むことで繋がるきっかけになる。ただお酒だけでは味覚や嗅覚だけで、この繋がりを思い出すのは非常に難しいです。

それを五感で享受できる機会がお祭りで、お酒を飲むときには食べ物、音楽、踊り、儀式などがあり、空間で体感できる。そうして営みを造るものの一つとしてお酒があります。

 

日本酒を飲んで、営みに気づく

濱道:
「無窮天穏」はどういう思いやきっかけで生まれたのですか?

 

小島:
無窮天穏を技術的ではないところで説明するなら、御神酒に近い営みを思い出すお酒を造ろうと思うと、こういうお酒になるのかなと。
複数のレイヤーが折り重なっているような。より理想に近く、手間暇がかかっています。

既存の「天」も150年続いている蔵なので、同じ名前でやるのはおこがましいと思っていました。
確信があって始めたわけではなく、答えを確かめながらやっています。 そして「天穏」を上書きするわけではなく、ひとつの可能性の追求という意味で始めました。なので「無窮天」としています。

※天:"天が穏やかであれば窮する(困る)ことは無い、世界とその未来が平和であることを願う"という意味がある、仏典の「無窮天穏」から命名。

濱道:
「縁起」、「水母(くらげ)」の言葉に込められたコンセプトはありますか?

 

小島:
「縁起」、「水母」は似たような意味ですが、「水母」のほうがより境界線をなくすというような意味合いです。

名前も無くして、神と一体になる神人共食。
自分と他人、自分と自然、神、過去と未来、分類してあるようなものを曖昧に溶かしていくという意味合いです。
お酒を飲んだらみんなそうなる。水母のように自分の体と海との境界がわからなくなるのと同じかなと。

「縁起」は異なる二つのものが一つになるという意味です。
人間と自然は異なるものですが、お酒というもので一つに繋がる。違うものを合わせることを繰り返して時間が発生する。男と女に縁があって子供が産まれ、育ててという営みが発生するように、日本酒も繰り返すことで営みに気づくための一つの方法

※神人供食:神と人間が同じものを食べることによって、親密になり、つながりを強くすることによって神のご加護を願うこと。

濱道:
きょうの日本酒の印象はありますか。

小島:
容量が面白いなと思っています。
営みのことを考えていると、土や水が地球上にたくさんある中で、目の前の土を掌で持っても土は土で変わらない。土の中には鉱物や植物、生物や死骸などで、多くても少なくてもそこで営みが形成されています。海の水も同じです。

土、水、空気など、大きいや小さいを超えてもなお魅力が伝わるもの。
一合瓶でも一升瓶でも、同じ営みがあるものとして魅力が変わることなく伝わるのは面白いです。

濱道:
180mlというサイズはちょうどよく飲みきれるという点でも、最初から最後まで味わいと魅力を見つけに行く心持ちで愉しめるところが、板倉酒造さんの思想と重なるところがあるかもしれません。
無窮天の丁寧な味わいを、みなさんに楽しんでいただけているとも感じます。

本日はどうもありがとうございました。

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