呑んで美味しいもの、だけではない日本酒。
文化としての日本酒を掘り下げたり、日本酒というレンズを通して別の文化を見つめてみたり。
自由な探求と実験を行い、発信していくジャーナル「日本酒を遊び、文化を編む」。
今回は、立春から八十八夜にまつわる日本酒の季節性についてです。
立春と酒造り
先日、2025年2月3日は立春でした。
旧暦では、立春が1年の始まりです。厳しい寒さも立春まで。暦の上では春になります。
「八十八夜」といった暦の数え方も、立春を起点としていました。
ところで、江戸時代には、日本酒は冬に造るのが一般的でした。
秋に稲刈りが終わると、日本酒の仕込みが始まります。
発酵が終わった日本酒は、立春のころに絞り、細かい澱を沈殿させるために、大桶に入れて静置します。
そして、八十八夜の頃(4月末〜5月頭)に上澄みを取り出して、火入れをし貯蔵に入ります。
ですから、まさにこの立春の頃は、日本酒を絞る時期に当たりました。
さて現代に戻って、この立春に話題になるのが、「立春朝絞り」。
立春(2月4日ごろ)の早朝に絞った日本酒を、その日のうちに出荷するというもので、絞りたてのフレッシュな日本酒が愉しめるため、日本酒ファンが色めき立つイベントです。
これ自体は比較的新しい習慣であり、1998年に日本名門酒会が企画し、全国の酒蔵と酒販店が協力して始まりました。1年の始まりに日本酒を絞り、神社でお祓いを受け、無病息災を願う縁起酒ともなっています。
とはいえ、江戸時代にも、立春のころに日本酒を絞っていたわけですから、きっと絞りたての日本酒を祝い酒として愉しむ人たちもいたのではないでしょうか。
安定的に大量生産を行うための冬季醸造
立春に絞り、八十八夜に火入れをする、というのは、当時の農村社会において、農作物の生産、日本酒の生産、労働力の循環といった点で合理的なものでした。
江戸時代には冬季醸造が一般的であったことは上で書きましたが、これは江戸という一大消費地の出現に起因しています。
江戸の消費力を賄ったのは「江戸の台所」としての大阪であり、大阪周辺(灘など)には大規模な日本酒蔵が生まれました。
大量のお酒を造り、なおかつ江戸まで運ぶ必要があったため、衛生管理をしっかり行い、貯蔵に耐えるような酒を大規模に生産することが求められたのです。
冬場は、発酵中に腐敗することが少なく、なおかつ低温発酵によって高いアルコール度数を実現できたため、このニーズに適っていました。
季節とともに循環する労働力
また、大規模に生産する上で、労働力も不可欠でした。それの担い手となったのが、農閑期の冬場に、酒蔵で働く農家でした。
稲刈りが終わる10月が、酒造りのスタート。冬の間に酒を仕込み、立春に絞り、八十八夜で火入れをします。
八十八夜は、立春(2月4日ごろ)から数えて88日目(5月2日ごろ)にあたります。
伝統的な暦では、春の終わりであり、これ以降は気温が上がり夏に向かっていくため、火入れをすることで貯蔵に耐えるようにしたわけです。これにて酒造りは一段落。
同時に、八十八夜は農業の重要な節目でもありました。霜の心配がなくなり、茶摘みや田植えの適期とされたためです。
こうして、酒蔵で働いていた農家たちは、八十八夜のころに、田植えのために本業に戻ったのです。
稲刈りが終わると酒造りが始まり、酒造りが終わると田植えが始まる。
季節とともに、労働力が循環する。農村社会では、農業と、酒造りが合理的に運用されていたのです。