いまでは当たり前の「居酒屋」ですが、そのルーツは江戸時代にあります。
当時の庶民は、仕事帰りに惣菜屋で煮物や焼き魚を買い、酒屋で量り売りの酒を受け取り、家で晩酌をするのが日常でした。いわば“中食文化”が暮らしを支えていたのです。
独身男性が支えた中食産業
なぜ江戸でこうした文化が盛んになったのか。
理由のひとつは、地方から上京した独身男性がとても多かったこと。江戸は急速に人口が膨らみ、しかも男女比は男性が大きく上回っていました。自炊に向かない単身者たちは、自然と惣菜や外食に頼るようになり、町には煮売り屋や仕出しがあふれていったのです。
「居酒」という言葉の誕生
そんななか、酒屋で酒を買った客が「ちょっと一杯だけ」と店先で腰を下ろすようになります。気づけばそのまま居座って飲むのが当たり前に。
ここから「居続けて酒を飲む=居酒(いざけ/いざか)」という言葉が生まれ、やがて居酒屋として定着していきました。
江戸に酒があふれた理由
さらに追い風となったのが、日本酒の供給力です。
上方――とくに灘や伏見の酒が“下り酒”として大量に江戸に運ばれ、樽廻船と呼ばれる専門の物流網まで整いました。
灘では「寒仕込み(冬の寒い時期に仕込むことで雑菌繁殖を防ぎ、酒質を安定させる方法)」や「水車精米(水車の力を使い米を均一に削る精米法)」、さらには「宮水(みやみず/灘で発見された酒造りに適した硬水)」の発見といった技術革新が進み、酒は安定して大量に造られるように。こうして江戸の町には、日常的に飲めるだけの酒があふれていったのです。
たとえば、当時の資料では、江戸で毎年100万樽(四斗樽で換算。1樽約72リットル)もの酒が消費されていたと推定されることがあります。  当時の江戸の人口を100万人と仮定すると、この量はひとり当たり年間1樽弱/1日約1合(約180ml前後)を飲んでいたことになります。
惣菜と酒、人と人
惣菜屋や茶屋も酒を出しはじめ、豆腐田楽や焼き魚をつまみに気軽に一杯――。そこはただ飲むだけの場ではなく、人と人とがつながり、笑い声が響く社交の場になっていたことでしょう。
居酒屋文化の原点は、まさに「惣菜と酒を囲んで人とつながる時間」だったのです。
これもまた地方から上京した単身者の心の拠り所だったのかもしれません。
いまにつながる江戸の知恵
“早い・うまい・気軽”。江戸の町人に最適化された居酒屋のスタイルは、いまも変わらない魅力を持ち続けています。
カウンター越しに交わすひと言や、隣の客とのささやかな連帯感――。私たちが居酒屋で心地よさを感じるのは、江戸の暮らしの知恵が脈々と息づいているからかもしれません。